えこなの結婚式について書くにあたり、ずいぶん久しぶりにこのブログのことを思い出した。実はいままでは記事は更新しなくてもリンクから人様のブログを見に行ったりはしていたのだが、ここ最近はブログにアクセスすること自体が減っていた。
Twitterに場を移したのが原因だとは思うけど、あそこは考えて書く場ではないので(推敲を重ねたと思われるつぶやきはだいたい興が無い。あれは感情任せにぽっと出た言葉のが絶対面白い。不思議)やはりブログとはかなり趣が違う。
更新にはちょっぴり時間と手間とアタマを使うけど、やっぱり僕はブログの方が性に合うのかもしれないと思い直した。書きたいことは、起承転結ちゃんと書こう。
正直なところ茶化す気マンマンで出かけたえこなの結婚式だったが、行ってみたら予想以上に素晴らしい式だったので僕の結婚式(厳密には披露宴)に対するイメージはおろか、結婚というシステムに対してまでずいぶんと別な価値観を与えてくれる人生のビッグイベントになってしまった。
結婚式なんてものは「女の子が恒久的に憧れるお姫様をちょっとだけ実現してあげるだけの、人生で最初で最後・最強の贅沢なサービス」ぐらいにしか考えていなかったのだけれど(そして実際そういう式に何度か出たけど)、そういうイジけた考え方はあまりにも子供じみていたなあと反省することになった。
そもそも結婚式の主役は誰なんだろう。もちろん主役は新郎新婦になるわけだけど、結婚式自体は主役のための舞台ではない。主役が存在するのなら、その舞台はいつだって観客が一番影響を受けるに決まっている。結婚式は主役がそれを見せたいと思う相手のためにきっと存在している。
そう、失礼な言い方になるのかもしれないが、僕はすごく良い舞台を見に行った気分なのだ。少し誇張はあるかもしれないが決して虚構ではない立派なシナリオと、この日のために発表する自分を積み上げてきた純粋な登場人物と、それを盛り上げようと陰から支える人たちの存在と、それを期待し祝福しようと思って集まった観客。結婚式はそういう大規模なエンターテイメントのような気がした。そして僕は、どっぷりその舞台の影響を受けてきた。
ここ1年ちょっとの間、私事では失恋にうちのめされたり仕事に追いやられたり、社会的にはあの忌まわしい大震災があったりと、自己を根底から見つめなおす機会がたびたび与えられた。それは決して気持ちの良いものではなかったけれど、僕には必要なものとして真剣に取り組んだつもりだし、発見したことや変えてきたことも少なからずある。
だけどそれらの悲しかったり辛かったりするネガティブで否定的な要因のものとはまた別に、えこなの結婚式は愛する喜びであったり、家族や友人との繋がりであったり、これまで生きてきたことに対する極めてポジティブで肯定的な要因として、僕に自分を見つめなおす機会をくれた。
式に出て以来、長いこと悩みながらああでもないこうでもないと思っていたものにパッと光が振り注いだような感触がある。全部が全部氷解するようなものではないけれど、深く納得できて消化できた部分がある。
もちろんそれは一時的なものに過ぎなくて、また無個性な日常に磨耗していくうちに忘れてしまうようなことかもしれない。それでもいまの気持ちが続くうちに、何か有益な習慣を作れたらいいなと思っている。一度乗れるようになった自転車には何年経ってもすぐ乗れるように、あの幸福感は何かのきっかけですぐに思い出せるような気がしている。
式から帰ってこの3日間、ずいぶん理不尽な仕事をさせられた。ミスもした。だけどそれほど嫌な気分はしない。リカバリーしてやろうという気概もある。
思ったことや感じたことは、行動に移して形に残さないとすぐに忘れてしまう。とりあえず、いまはそれで少しだけ頑張ってみようかなあと思っている。
良い舞台を見に行った後にすごく気分が良いみたいに、良い結婚式に出た後はまるで自分が結婚したみたいに気分が良いようだ。
Twitterに場を移したのが原因だとは思うけど、あそこは考えて書く場ではないので(推敲を重ねたと思われるつぶやきはだいたい興が無い。あれは感情任せにぽっと出た言葉のが絶対面白い。不思議)やはりブログとはかなり趣が違う。
更新にはちょっぴり時間と手間とアタマを使うけど、やっぱり僕はブログの方が性に合うのかもしれないと思い直した。書きたいことは、起承転結ちゃんと書こう。
正直なところ茶化す気マンマンで出かけたえこなの結婚式だったが、行ってみたら予想以上に素晴らしい式だったので僕の結婚式(厳密には披露宴)に対するイメージはおろか、結婚というシステムに対してまでずいぶんと別な価値観を与えてくれる人生のビッグイベントになってしまった。
結婚式なんてものは「女の子が恒久的に憧れるお姫様をちょっとだけ実現してあげるだけの、人生で最初で最後・最強の贅沢なサービス」ぐらいにしか考えていなかったのだけれど(そして実際そういう式に何度か出たけど)、そういうイジけた考え方はあまりにも子供じみていたなあと反省することになった。
そもそも結婚式の主役は誰なんだろう。もちろん主役は新郎新婦になるわけだけど、結婚式自体は主役のための舞台ではない。主役が存在するのなら、その舞台はいつだって観客が一番影響を受けるに決まっている。結婚式は主役がそれを見せたいと思う相手のためにきっと存在している。
そう、失礼な言い方になるのかもしれないが、僕はすごく良い舞台を見に行った気分なのだ。少し誇張はあるかもしれないが決して虚構ではない立派なシナリオと、この日のために発表する自分を積み上げてきた純粋な登場人物と、それを盛り上げようと陰から支える人たちの存在と、それを期待し祝福しようと思って集まった観客。結婚式はそういう大規模なエンターテイメントのような気がした。そして僕は、どっぷりその舞台の影響を受けてきた。
ここ1年ちょっとの間、私事では失恋にうちのめされたり仕事に追いやられたり、社会的にはあの忌まわしい大震災があったりと、自己を根底から見つめなおす機会がたびたび与えられた。それは決して気持ちの良いものではなかったけれど、僕には必要なものとして真剣に取り組んだつもりだし、発見したことや変えてきたことも少なからずある。
だけどそれらの悲しかったり辛かったりするネガティブで否定的な要因のものとはまた別に、えこなの結婚式は愛する喜びであったり、家族や友人との繋がりであったり、これまで生きてきたことに対する極めてポジティブで肯定的な要因として、僕に自分を見つめなおす機会をくれた。
式に出て以来、長いこと悩みながらああでもないこうでもないと思っていたものにパッと光が振り注いだような感触がある。全部が全部氷解するようなものではないけれど、深く納得できて消化できた部分がある。
もちろんそれは一時的なものに過ぎなくて、また無個性な日常に磨耗していくうちに忘れてしまうようなことかもしれない。それでもいまの気持ちが続くうちに、何か有益な習慣を作れたらいいなと思っている。一度乗れるようになった自転車には何年経ってもすぐ乗れるように、あの幸福感は何かのきっかけですぐに思い出せるような気がしている。
式から帰ってこの3日間、ずいぶん理不尽な仕事をさせられた。ミスもした。だけどそれほど嫌な気分はしない。リカバリーしてやろうという気概もある。
思ったことや感じたことは、行動に移して形に残さないとすぐに忘れてしまう。とりあえず、いまはそれで少しだけ頑張ってみようかなあと思っている。
良い舞台を見に行った後にすごく気分が良いみたいに、良い結婚式に出た後はまるで自分が結婚したみたいに気分が良いようだ。

